『シン・ニホン』とは、『真・ニホン』なのか、それとも『新・ニホン』なのか?
このタイトル、庵野 秀明監督の『シン・ゴジラ』から着想を得ているそうです。
新たに始まりつつある新時代の船に、日本がぜんぜん乗り込めていないことを痛快にあぶりだしている本です。
日本はこのままではまずい。
そのためには『シン・ニホン』にならないといけない。
──という主旨です。
ただ、凡人としての個人がどうすればいいのかというミクロ的な話は少なめなので、
「じゃあ明日からはこうしよう」ということがすぐに分かる本ではないので、ご注意を。
ところで、『シン・ニホン』とはもしかしたら、『神・ニホン』のことなのかもしれないな……。
1.ゼロからイチを生み出すのが苦手な日本
この本いわく、産業革命には3つのフェーズがあります。

(⬆︎⬆︎⬆︎の画像は本書からではなく、youtubeで解説している動画から引用しました。わかりやすい解説動画なのでぜひ。)
いわば、0から1を生み出す段階ですね。
第二のフェーズは、「新技術の応用」。
その新技術を研究室に閉じ込めるのではなく、どうやって実社会に応用していくかを試行錯誤する段階ですね。
そして第三のフェーズは、「新技術のシステム化」。
新技術を使って、強固なプラットフォームを構築するのがこの段階。
例として、インターネットなんかは、もうこれがないと明日の世界が成り立たないというくらいシステム化されていますよね。
日本は産業革命以降の世界の大変革に、かなり遅れて参加しています。
黒船来航によって、「え?世界ってここまで進んでいたの?やばい」とようやくお尻に火がついたわけです。
それまではまさに極東の一角で鎖国していたわけですから、世界の仕組みを変えるような新技術の発見は、まったくできなかったわけです。
しかし、開国してからのスピードは早かった。
列強に追いつけ追い越せで、あっという間に列強と肩を並べたわけですからね。
(すごい出世スピードです。)
現在は「データ✖︎AI」の時代ですが、日本がこの波に乗り切れず、大遅刻していることは本書で何度も書かれている通り。
またしても第1のフェーズで完敗している日本ですが、
日本は第一のフェーズが苦手なんだから、第二第三のフェーズで追いつけばいいじゃん。追いつくのは得意なんだから。
──というのが、本書の主張です。
じゃあ個人はどうすればいい?(俺の意見)
じゃあ俺たち凡人としての個人としてはどうすればいいかというと、
「データ✖︎AI」の時代のルールにしたがって、勤勉に努力していくしかない。
新たにルールを作って世界を変革するという作業が、日本人には向いていないことは歴史が証明しているからです。
ならば、すでに走っている船に乗って、愚直に努力していくしかない。
0から1を作る作業は、並大抵の日本人には無理でしょうが、新しいルールで走る船に乗り込むことはできるはず。
凡人の生存戦略としては、これが最適解なのではないかと思います。
2.たった10年で世界のルールが変わった
驚いたんですが、たった10年で世界のトップ企業の顔ぶれが様変わりしたそうです。

2007年時点では石油会社など(石油という手で触れることのできる商品を生み出している会社)がトップでしたが、
2019年では、「データ✖︎AI」を押し進める会社ばかりに入れ替わってしまいました。
これは地殻変動ともいうべき、世界のルールの変貌と言えるでしょう。
今、世界は「指数関数的な変化」(最初はゆっくりだけど、後で急激に伸びる)を遂げていて、
ほんの数年後の未来が読めない、まさに五里霧中の状態です。
「指数関数的な変化」の中で日本人の妄想力が生きる?
本書のおもしろい主張の1つが、
日本人には高い妄想力がある。
──ということです。
日本は3歳くらいから妄想力を英才教育している珍しい国。
甲殻機動隊しかり、鉄腕アトムしかり、ドラえもんに出てくるどこでもドアや暗記パン、もしもボックスなど。
これほど妄想ドリブンな情操教育をする国は珍しい。
論理的で合理的な思考においてはやはり海外のエリートの方が一枚上手かもしれませんが、
こういう非論理的というか、妄想に近い想像力というのはたしかに日本人の大いなる強みかもしれません。
これからの時代は指数関数的な変化を遂げていくと予想されます。
論理的に考えたところで、先の読めない時代が来るのです。
案外、論理的でない妄想主義的な人間のほうが、時代に柔軟に合致して(アメーバのように)生き残っていくのかもしれません。
ところで、俺はどうかって?
俺はバリバリの妄想教育を受けてきたので、頭はあまり論理的ではないですし、ガチガチの論理思考は苦手です。
でも、まあそういう人間こそわりと柔軟なので、今の時代には適しているのかもしれませんね。