『天気の子』
映画観ましたか? それとも小説版を先に読みましたか?
小説版は、映画版を補完してくれるような役割なので、僕としては映画→小説というプロセスをおススメします。
映画版を見た人は、小説版にぐっとくるはず。
なぜなら!
小説版では、主人公のほだか君以外の登場人物の心の声が描かれているからです !
夏美さんの悩みが聴ける
映画版では明るさ100%に見えた夏美さんですが、小説版では就活に悩む鬱屈した心情が描かれています。
なにかに抗議するような心持ちで毎日を意識的にだらだらと過ごしていた。そのなにかとは、言葉にするならばたぶん「親」とか「社会」とか「空気」とか「義務」とかで、それが幼い反抗心だとは分かってはいても、私はどうしてもまだ就活をする気持ちになれないでいた。
こんな風に。
主人公以外の心の声をたっぷりと描けるのは、動かしがたい小説の強みです。
映画版をさらに補完する意味でも、ぜひ小説版も読むべきです!
それにしても映画版の明るい夏美さんを見た後で、就活に悩む小説版の夏美さんを見るとギャップを感じますね。
そりゃ、明るいだけじゃやってけないよねー
須賀さんのあのセリフの意味
小説をじっくり読んでると、須賀さんのあの意味深なセリフの意味が分かりました。
「人間歳取るとさあ、大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよな」
というあのセリフです。
ラストでは、ほだか君は愛する人を取り戻すことによって世界の形を変えてしまいましたよね。
ほだか君にとっては、世界よりも陽菜さんの方が大事だったわけです。
ほだか君はまだ若く、大事なものの順番を入れ替えることができたんですね。
須賀さんはもう中年だし、「世界を犠牲にしてでも愛する人を選ぶ」なんて大それたことはもうできない。
まさに「大事なものの順番を入れ替えられない」状態です。
面白いのは、夏美さんでさえ内心では須賀さんの考えに同意している感じが小説版で描かれていたことです。
夏美さんは就活中。
子供から大人への過渡期にある存在です。
夏美さんは徐々に子供時代を卒業しつつあるんですね。
世界を犠牲にして愛する人を選べるのは━━子供だけの特権なのかもしれませんね……。
須賀さんのもう一つの名言
須賀さんばかりになってしまいますが、小説版にはもう一つ須賀さんの名言があります。
「いいか、若い奴は勘違いしてるけど、自分の内側なんかだらだら眺めててもそこにはなんにもねえの。大事なことはぜんぶ外側にあるの。自分を見ねえで人を見ろよ。どんだけ自分が特別だと思ってんだよ」
これは、セカイ系をぶち破るセリフです。
セカイ系とは━━主人公とヒロインの二人だけの関係の問題が、「世界の危機」と直結している作品のこと。
自分の内側ばかり見ている、つまり自分が世界の中心だと思っている無知なほだか君をたしなめる言葉なんですよ、これは。
須賀さんはほだか君に「大人になれよ、少年」とも言っていましたね。
セカイ系の中に閉じこもった少年を、外側に導く。須賀さんはそんな役割を担っているようですね。
小説版の名言集
- くるくる変わる陽菜さんの表情は僕にはパズルのように難しい。虹色の嵐に吹かれているような気持ちになる。
- 「付き合う前はなんでもはっきり言って、付き合った後は曖昧にいくのが基本だろ?」(凪くんのセリフ)
- 僕たちは、なんとかやっていけます。だから、これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください。
- 皆、なにかを踏みつけて生きているくせに。誰かの犠牲の上じゃないと生きられないくせに。陽菜さんと引き換えに青空を手に入れたくせに。