Small+α すもぷら

昨日までの自分に小さな+αを足していくブログ

閲覧注意!5つの怖い絵を見てみませんか?

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あなたは最近、真の闇を体験したことがあるだろうか?

現代ではあらゆる場所が街灯で照らされており、真の闇は駆逐されている。

闇の中にいたって、僕らはスマートフォンを取り出して簡単に闇を照らすことができる。

昔の人はそうではなかった。

かれらにとって真の闇とは容易に駆逐できないものであり、恐怖そのものだった。

 

以下で紹介する怖い絵を見て、太古の人間の感じた恐怖というものをぜひ体験してほしい。

人間の感情の中で、最も原始的な感情は恐怖だそうです。

ぜひ、獣に先祖返りした気分で以下の絵を怖がっていただきたい。

 

※以下で紹介する絵は、貴志祐介『極悪鳥になる夢を見る』を出典としています。 

 

この本には、他にも怖い絵が載ってますので興味のある方はどうぞ!

また、絵の解釈は完全に僕の独断なので、なんらの根拠があるわけでもありません。あえて自由な解釈を楽しみましょう。

ベクシンスキー タイトルなし

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1983年、油彩・ハードボード、87×87センチ、個人蔵

廃墟や死をテーマにした絵を描き続けてきた孤高の画家ベクシンスキー。

彼は絵にタイトルをつけないらしく、自分の絵を分析されるのを嫌ったとか。

 

なら僕がタイトルをつけてみよう。

彼(彼女?)が持っているのはラッパ、あるいは笛だろうか。

だが、絵から音色は聞こえてこない。

 

もしや彼は演奏家だったのではないだろうか。

何らかの理由で聴覚を失い、満足に演奏できなくなった演奏家の成れの果てが彼だとすると……。

 

彼は聴覚を失ってもなお楽器を演奏し続けている。

視覚を封印し、聴覚のみに全神経を集中させようとしている。その証拠に、彼の眼は真っ黒になっており、見えているとは思えない。

 

だがしかし、彼に音色は聞こえない。

それでも演奏をやめるわけにはいかない彼の執念が、無数の指となって現れているに違いない。

 

『失われた音符を求めて』

僕なら、こんなタイトルをつける。

ジャン・デルヴィル 『スチュアート・メリル夫人の肖像』

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1892年、クレヨン・紙、38・1×27・9センチ、個人蔵


 ぎょっとさせられる絵だ。

長い髪の毛は落雷でも落ちたように電気を帯びているし、眼球は限界まで上を向いている。

この絵を見た人はきっと、精神病で狂った女だと思うだろう。

 

じっと見ていると気づいた。この絵には共通のモチーフがある。

上を向いた眼球と、上を指しているように見える三角形だ。

 

狂人には狂人の論理がある。

彼女は何らかの理由があって、僕たちに上を見てくれと暗に示しているのかもしれない。

 

あるいは━━

彼女は本当は狂ってなどいないのかもしれない。

わざと気の狂ったふりをすることを佯狂(ようきょう)というが、彼女は狂ったふりをしているだけかもしれない。

 

上にはいったい何があるのだろう……。

 

正気の女が狂った女を演じるその理由は分からないが、安易に上を見上げるべきではないだろう。

何が起こっても、彼女は責任を取ってくれないだろうから。

松村光秀『姿(自画像)』

 

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1989年、油彩・板、177×48センチ、個人蔵

これが自画像だというのだから、驚いてしまう。

彼はいったい、自分をどう捉えていたのだろう。

 

手足は細長く、生気がない。それでいて皮膚には体毛がほとんど生えておらず、どことなく人工的な雰囲気もある。

 

絵画の世界では、絵の左側は過去、右側は未来を意味するらしい。

彼は身体を過去に向けており、ふと懐かしむように未来の方へ振り返っている。

 

彼は人間としての進化を諦め、ひたすら過去に戻り、どこまでも退化していくつもりなのかもしれない。

お尻から垂れる尻尾のようなものは、彼が先祖返りをしていることを意味するのではないか?

 

画家の松村光秀は、自分をこんな風に捉えていたのだろうか。

彼はいまだに過去への道を進んでいるのだろうか?

もしそうなら、今頃は四足歩行になっているかもしれない。

 ルドン 『キュクロプス』

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1898年、油彩・板、64×51センチ、クレラー・ミュラー美術館蔵

キュクロプスというのは、ギリシャ神話に出てくる一つ目の巨人のこと。

手前に横たわる女性は、巨人を恐れて隠れているのだろうか?

 

巨人はぬっと顔をのぞかせて彼女を探しているようだ。

巨人の目はまだ彼女を捉えていないが、それも時間の問題だろう。

この絵は、巨人が意中の女を発見する直前を切り取った絵なのではないか?

 

一見、巨人からは敵意を感じない。友好的にさえ見える。

だが、漫画『進撃の巨人』に出てくる「知性のない巨人」たちは、笑いながら人間を貪り食おうとしてくる。

 

巨人と人間はやはり相容れないのだろうか。

 

巨人に見つかった女性はこの後、どうなるのだろう。

ピンク色のハッピーエンドが待っているとは、僕には思えない。

鴨居玲 『サイコロ』

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1969年、油彩・カンヴァス、91・2×116・5センチ、ウッドワン美術館蔵

テーブルの上のカップの中には、おそらくサイコロが入っているのだろう。

それを恐怖に震えながら見つめる3人の男たち。

 

サイコロの目に命がかかっているのだろうか?

よく見ると、彼ら3人はその雰囲気からして貧民のように見える。

それに比べて左下の真っ赤なテーブルは、貴族の邸宅のものではないか。

 

彼らは貴族の邸宅に招かれ、余興として命を賭けたサイコロゲームをやらされているのかもしれない。

 

第72代天皇である白河法皇は、サイコロの目だけはどうしても思い通りにならないと嘆いたとされている。

権力者にとってサイコロの目は思い通りにならない象徴であり、暇つぶしのゲームのためにはちょうどよかったのかもしれない。

 

いつの世も、権力者の余興のせいで害を被るのは、弱者たちなのだ。

まとめ

怖がっていただけたでしょうか?

絵の解釈というものは∞なので、あなたも何か独自の解釈をしてみてくださいね!