子供を持つことに、ぼんやりした怖さを感じます。
男にとっては、子供は「産む」のではなく「持つ」なので、女性よりは怖くないかもしれませんが、それでもやっぱり怖い。
小説を通して「子供を産むこと」を、徹底的に考えた作家に、川上未映子がいます。
彼女は、人工授精を決意して母になる女性を描いた『夏物語』など、「産む」ことを一貫して考えています。
川上未映子いわく、世の中にはこんな考え方があるそうです。▼
つまり、功利主義的に考えると、子供は産まない方が社会のためになるという考え方です。
(最大多数の最大幸福的な思想に近いのかな?)
もちろん、この考え方は極端だし、反論がありまくりですが、僕はこの考えかたにけっこう共感して「うんうん」と思ってしまいました。
悲観的すぎると言われてしまってはそれまでですが、これから先の日本であまり子供が幸せになれる気がしません。
僕が子供を持つことが恐ろしいと感じるのは、不幸な子供を存在させてしまうことを無意識に恐れているからだと思います。
さらに悪いことに、子供がやらかした不祥事は親の責任であることが当たり前であるかのような通念も気味が悪いですしね。
正直、子供の人生の責任など負いたくないのです。
僕は、ほんとうに尊敬しますね。
ちなみに、川上未映子の子育て奮闘記がめちゃおもしろなので、おすすめです。▼
本題に戻ります。
別にアフリカの貧しい子供を救えとまでは言わなくても、(アフリカが貧しいというのも最近は幻想らしいですが)日本にもたくさんの不幸な子供がいます。
事情があって日本に来たけど、日本の閉鎖的な移民政策のせいでひどい目にあっている外国人の子供もたくさんいます。
幸福になるか不幸になるかわからない子供を新たに存在させるよりも、すでに不幸な子供として存在している子供たちをできるだけ幸福にさせるほうが、僕には論理的に一貫した行為のように思えてしまうのです……。
具体的に言うと、自ら子供を存在させるのではなく、不幸な子供を養子として引き取ったり、孤児院を設立したりするほうがいいのではないかってことです。
まあ、白状すると、不幸な子供たちを救うために全力で献身できるほどの熱意は僕にはないのですけどね。
とどのつまり、
今は、子供を持つことを否定的に考えていても、愛して愛される人を見つければ、考え方はガラッと変わって、「この人との子供が欲しい」と思うようになるでしょう。
昨日まで軍国主義者だった人が、終戦と同時に平和主義者に180度変わるように、人の考え方は環境しだいでクルリと変わります。
ただ、現在24歳の僕には、僕が子供を持つ未来は全く見えません。それは、記録としてここに残しておきたいと思うのです。
実は最近、姉に子供が生まれ、めでたく(と周囲はそう言います)僕は叔父になりました。
ですが、ただ泣き叫ぶだけで、この先、幸福になるか不幸になるか未確定の赤ん坊を見ると、僕はどうしても子供を持つ気にはなれないと改めてぼんやりした恐怖を感じるのでした。
「幸福」と打ち込んで、エンターキーで確定させてあげることができたら、どんなに安心でしょうか。
最後に、僕の好きな作家である、カフカの言葉を紹介しておきます。
彼は今でこそ、世界的な有名作家ですが、生前はただのサラリーマンでした。
生涯のほとんどを実家で暮らし、結婚することも子供を持つこともありませんでした。
なぜ、彼は子供を持たなかったのか。
わりと直接的とも言える理由を、彼は書き残しています。こんな言葉です。▼
もし結婚して僕のような無口で鈍くて薄情で罪深い子供が生まれたら、僕はとても我慢できず、ほかに解決策がなければ、子供を避けてどこかへ逃げ出してしまうでしょう。
僕が結婚できないのは、こういうことも影響しているのだ。
カフカもまた、子供を持つことにぼんやりした恐怖を感じていたようです。
こんな駄文を最後までよんでいただき、感謝します。
これから存在する子供たちが、幸せになれるように祈りたいです。
なかなかに骨のある本ですが、親になる前に目を通しておきたい本です。